不動産価格 2008 8 3
現在、アメリカでは、
金融システムに注目が集まっているように見えますが、
それだけでは、対策が不十分です。
現在の状況を考えると、二つの作戦が、ぜひとも必要です。
それは、「金融システム」と「不動産価格」です。
「PKO」とは、「price keeping operation」のことで、
一般的には、株価維持策のことでしょうが、
不動産価格に対しても、PKOに相当するような政策が必要だと思います。
もし、不動産価格の下落を放置すれば、
正常債権が、要注意債権へ、
要注意債権が、不良債権へと転落していく可能性もあります。
2004年8月19日の日本経済新聞には、このような記事があります。
「新宿の西富久の土地には、旧日本債券信用銀行など複数の銀行が、
総額数百億円の融資をつぎ込んでいた。
ところが、旧大蔵省が、不動産向け融資を抑制させる『総量規制』を導入。
資産デフレの中で、融資の担保になっていた土地は、
1平方メートル約200万円から55万円に急落。
担保割れで、融資は不良債権化し、
地上げ途中の土地は、そのまま塩漬けになった。
土地神話を背景に膨らんだ不動産担保融資は、
地価下落で、巨額の不良債権に姿を変えた。
銀行は、公的資金注入を受け、
金融再編を繰り返しながら、その処理に10年の歳月を要した。」
不良債権処理 2008 3 1
最近は、アメリカで、日本のバブル崩壊後について、
つまり「失われた10年」についての議論が盛んなようです。
「自分たちも、そうなるのではないか」という不安があるのでしょう。
今でも、よく言われることは、
「日本は、不良債権処理が遅れた。もたもたしていた。
それから、不良債権の額が小出しで、後になってから次から次へと出てきた。
要するに、損失確定をためらっていただけだ」と。
しかし、ここで少し言い訳をさせてほしいのです。
バブル崩壊後、ノンバンクの後始末は、そんなに遅れることなく、
比較的、早く処理できたのです。
では、どうして、「失われた10年」になってしまったのか?
それは、バブル崩壊後、不景気とデフレの進行で、
正常債権が、次々と、不良債権になっていったのです。
正確に言えば、正常債権が要注意債権へ、その要注意債権が不良債権へと、
ずるずると、底なし沼のように転落して行ったのです。
要するに、ノンバンクの破綻は、単なる入り口に過ぎなかったのです。
つまり、ノンバンクの破綻は、単に導火線に過ぎなかったと言えるでしょう。